東京都品川区大井町ご出身の米田晶さん
大学卒業後、東京で広告会社や陶芸の窯のメーカーに勤務、
奥様のご実家の事業を引き継ぐために1995年、黒部市に移住されました。
その時は、まだ今のように北陸新幹線も開業しておらず、東京からとても離れた地にやってきたという印象でした。
奥様の実家の事業はどのようなことをされていましたか?
食品スーパーを5店舗営んでいました。
黒部店で店次長兼任海産サブチーフを経験したことが
現在の仕事に活かされています。
惣菜barカタコト屋さんをオープンされた経緯をお教えください
市内に大手スーパーの出店が相次ぎ、2014年8月末にスーパー事業から撤退しました。
その後、奥様の趣味で集めた雑貨をネットで販売しました。
雑貨をネットで販売するなら実店舗があるといいのではと考えて、かつてのスーパーのバックヤードとして使われていた場所をお店にすることにしました。
さらに、そこでお茶など飲めたらいいんじゃないかということで飲食もできるようにしました。
1年半以上かけて改装し、料理学校にも通いました。
当時、スーパーでは地元の食材を使ったものがあまり取り扱われていませんでした。せっかく新鮮でおいしいものが黒部にはあるので、地元の食材を使った料理を提供したいと思いました。
もう一度学校に通い新しいことを学ぶことは大変だったのではないですか?
スーパーで培ったノウハウもありましたし、料理はもともと好きだったので苦ではなかったです。
趣味の延長のようなものです。
少し話は変わりますが、黒部市での暮らしについて伺います。
黒部市での子育てはいかがでしたか?
地域のつながりが強いので、みんなが子どものことを知ってくれていました。
地域の人から子どもが見守られている安心感がありました。
休日の過ごし方をお教えください
バンドと旅行です。
旅行は感性があるうちに色々なところに行きたいと思います。
体力があるうちにも大事ですが感動できる間にいろいろなものに触れたいですね。
いつでも休めるということが自営業の特権ですね。
その時の給料はありませんが(笑)
移住検討中の方へ一言!
北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅が2015年に開業し、首都圏からのアクセスが格段によくなりました。
移住を検討されている方は、まずは黒部市に足を運んで自分に合う場所をじっくり探されたらいいと思います。
インタビューを終えて
米田さんからは、趣味のバンド活動を楽しんでいるとのことで、移住してきて、自分の趣味に合うサークルに入ったり、自分のやりたい事を思いっきり楽しむのがいいかもしれません。
また、インタビューで、「年齢を重ねるにつれて感性が少しずつ鈍くなる」という言葉が印象に残っており、移住を検討されている方は、黒部市に足を運んでもらい、全身で黒部の魅力を感じてもらえれば、きっと理想の暮らしが見つかるはずです。
<ポイント>
黒部市の暮らしに触れてみたい方は、定住体験施設「住定夢の館」や地域おこし協力隊が黒部市内を案内する「市内アテンド」をぜひ活用してみてください。